他人の空似

創作小話やネタなどをだらだらと。

夜明けの烏(1)

 夜が明ける、早朝の空が好きだった。
 黒く塗りつぶされた空が段々と色を取り戻していく。軈て見える朝日は私の肌を照らしては暖かさを与えて、朝露に濡れた深緑の香りを目一杯肺に吸い込む。鳥達が飛び出す時の羽撃く音を聞くと目が醒めた気がする。五感を満たすそれらは一日の始まりには相応しい。
 目覚めて直ぐに窓を開ける。朝日を浴びて、外の新鮮な空気を吸えば目覚めは最高だろう。それから身支度を済ませてはその日の朝刊を読みながら珈琲を啜る。俺の思い描いた最高な朝の過ごし方だ。ありきたりで、何の捻りもないが、俺にとってはとても羨ましい朝の穏やかな過ごし方。
 だが、俺は暫くこの穏やかな朝を過ごせて無い。
  ◆◇◆
 嘉藤家。藤の名が入るこの家名は平安時代、とある貴族に協力した一族の内の一つである。
 嘉藤家は妖怪の中でも取り分け力に秀でた者が多く、そのほとんどが妖力とは別の神通力を使う天狐であるのが特徴だ。その為、後の戦国時代には他の妖怪を圧倒し揺ぎ無い地位を獲得した。人では無いが妖怪でもく、また神でもない。そんな中途半端に立ち位置が、今日までその地位を維持し続ける秘訣とすらなっている。人の様に固定観念に囚われることはなく、妖怪の様に力を欲することは無く、神の様に傲慢でも無い。正に、程々に丁度良いのが嘉藤家の強みであり、また、他の妖怪とは違う特異でもあった。
 それなのに――。
「八咫さん、昨日言われた件の報告書です」
「八咫さん!仕事終わったらゲーセン行きましょう!!」
「また誘ってんの?無駄なんだから辞めようよ」
「あの、えっと、……すみません」
「あっはははははははは!!!」
 居つからここは、女子高生達の溜まり場になったんだ。
 事の経緯は三日前に遡る。
 
「光臨会、ですか」
「最近できた新興宗教の1つだよ。信者達がのめり込んで、家に帰らない事案が多発していてね。先月までは隣の縄張りだったけど、今月の中旬からこっちでも出始めてる」
 手元の資料には地元の警察署に出された被害届のコピーが17枚綴られている。そのどれもが家族の帰りを待つ人たちが書いたものだ。
「既に17人ですか」
「家族が居る人はね。独り暮らしの人とかは発見が遅れてる状態だよ」
 目の前の男――嘉藤善久が溜め息とともに吐き出す。彼の手にも同じ資料が握られている。
「今回は誰からです?」
「高校の同級生だよ。郊外の交番に勤めていてね、彼の所に3人駆け込んできたらしくて……俺の所に相談しに来たってわけ。資料、集めるの大変だったみたいだよ」
 ただの交番勤務の人間にしては上出来すぎる資料だが、恐らくこの男が手を回したのだろう。ただでさえ、コネだけで生きていけるような男だ。今ある資料だけでなく、警察署長から直々に取り寄せた資料もある。それには宗教団体の幹部や主な活動場所など詳細に記載されていた。
「報酬はどの様に?」
「彼の向こう500年の子孫の寿命、1人につき2年ってとこかな。彼だけは20年前払いだけど」
 ニヤリと不気味に笑う姿は狐のようだ。
「本性が出てますよ」
「狐だからね」
「睡蓮寺様に言いつけますよ」
「それだけはやめて!!」
 顔を青ざめさせた善久は資料を机に叩きつけながら抗議している。過去に同じ様な顔を京香に見られた時、嫌がられた事が未だにトラウマになっているようだ。
「私は関係者を監視します。何か変わった動きをしたらいつもの様に伝えますので、くれぐれも睡蓮寺様の御自宅に入り浸るようなことはしないでください」
「わかったわかった。気をつけてな」
 八咫は執務室から出ようとすると、その背に声がかけられる。
「伝えるの忘れてた。今日から君にも直属の部下をつけることにしたから、もう少しで来ると思うよ」
 あぁ、来たみたいだ。
 その言葉と同時に、自分の近くの扉が開かれる。
「失礼します」
 とっさに避けると、若い女性の声が聞こえた。自分の方からは扉が影になっていて姿は見えない。
「ここに八咫さんが居ると伺ったのですが」
「彼なら君の近くに居るよ」
「えっ」
 善久が指を指し示すと扉は勢いよく閉められた。
「すみませんでした、ドアの近くに居たとは思わず」
 現れたのは女性というよりは少女に近い小柄な人間だった。
「いや、君は……」
 自分よりもはるかに小さい背丈に高く結われた黒髪、細身の体にこの地域では見慣れた制服を纏ってる。
 自分の部下が未成年であることに少々落胆はしたが、善久がそう判断した以上八咫は拒否する気はなかった。
 だが八咫は眉を顰めずにはいられなかった。彼女から感じる気配に違和感があったからだ。人間と何かが混ざったような気配、神聖さとは似ても似つかないがそれでも神と同列の者だ。言葉に表すのなら悪しき神、それも高位の存在だ。
「失礼だが、名前は何という」
「これは失礼しました。私は本日付で八咫補佐官の元の配属されます、糸川冴と申します」
「冴ちゃんの他にもあと三人、部下になる予定なんだ。他の子は?」
 善久は満足そうに笑うと冴に尋ねる。
「朝霧が不具合を起こしてしまったようで、総醐と江利也が対処してます」
「そっか。君たちも大変だね」
 そう言うと、善久はこれからの打ち合わせと称して八咫と冴を部屋から出した。
 八咫は後ろをついてくる少女がどのような存在であれ、自分の主である善久に害がなければ出自や経歴について深く聞く気はなかった。
「朝霧は何か持病でもあるのか?」
「いえ、ただ……」
 言い淀む様子に少し後悔した。もともと八咫は彼女ほど若い世代と関わった事自体が少ない。
「言いにくいなら言わなくていい、強制はない」
「ご配慮感謝します」
 今の時世、ハラスメントは裏世界でも深刻になりつつある。いくら部下であろうとも異性である以上、いつ訴訟問題に発展するのかわからない。一見理知そうな見た目である彼女でさえ、裏の顔はわからない。
 八咫は気を引き締めると自室へと急いだ。
 
 嘉藤邸は市内一等地のビルの最上階に居を構えている。もちろん、その下のビルはまるまる嘉藤家の家業に使われている。
 その中の一区画はこの邸宅の主の補佐官、八咫礼士の執務室兼私室になっている。
「失礼します」
 律儀に挨拶をする姿には好感を持てた。
 冴に座るように言うが、彼女は出入り口で立ち止まったまま動こうとはしなかった。
「座らないのか」
「自分は立ったままで大丈夫です」
 そうか、としか答えられなかった。もともと八咫は口数が多い部類ではなかったが、彼女も八咫と同じくらい静かだ。室内はとても静かで、備え付けの時計の秒針の音だけが聞こえる。
「今回の件についてはもう知っているか?」
「いいえ。社長からは今日から八咫さんの部下になってほしいとしか言われてませんので」
「なら、先に資料から目を通してくれ」
 拝見させていただきます。と言い、冴は紙束を受け取った。紙をめくる音を聞きながら、手持ち無沙汰になった八咫は二人分の飲み物を淹れようと立ち上がる。
 立ち上がってから気が付いたが、この部屋には自分が飲む為だけに用意したコーヒーしかない。今の若い子はコーヒーが苦手だと聞いたことある。彼女がそうであるかは分からないので聞くしかない。
「コーヒー、飲めるか?」
 問われた冴の髪、いわゆるポニーテールが揺れた。目線を上げた冴は数秒悩んだかのように閉口し、目線を左右に振る。
「はい」
「砂糖とミルクは?」
「大丈夫です」
 そうか。と答えると冴は再び黙読を始めた。
 コーヒーメーカーからは豆から抽出された黒い液体が独特な香りとともに出てくる。
 それを片方は冴の前に置き、もう片方は自分の前に置いた。冴は変わらず資料に目を通している。まだ三分の一ほどしかめくられていないので、このままではあと二十分は待たなければいけない。
 八咫は急かすようなことはしなかった。急かしたことで資料の読み込みが不十分になり、情報の伝達がうまくいかなくなることがあるからだ。急いで読み進めるようにページをめくり始めた冴に気にしなくていい、と意味を込めてジェスチャーを送る。うまく伝わったのか冴は頷くと読み進める速度を戻した。
 部屋はまた静けさに包まれる。太陽は頭上高くで輝いている。雲一つなく窓の外はほぼ無風。ここは街中とはいえビルの最上階。下の喧騒などとは離されている。
 次第に重くなる瞼に、そういえば最近寝ていなかったなことを思い出した。